こんにちは、アナトミー 真っ最中のサラです。
今日は終戦の日ということもあり、平和について過去生のリーディングから感じたことを書いてみました。
ちょっと長めです。ーーー
ヒーラー になって、今までも何度か自分の過去生についてセッション中に気付きを得たり、過去生の自分自身からメッセージを頂いたりしました。
私が自身で把握している限りでは、日本人であった時も、ヨーロッパ人の時も、ネイティブアメリカンやアジアの山奥の村長であった時もありました。
それは、国や人種、社会的地位や性別を超えたものでした。
こういった過去生と現在の自分の関係性について証明できるものは、何一つありません。
しかし、いずれも自分にとってなんとなーく「しっくりくる」感覚でした。
先日ご紹介したシータヒーラー のかおりさんにセッションしていただいている時、ユダヤ人の過去生が出てきました。
かおりさんの登場する記事はこちら↓
ちなみに、ユダヤ人の過去生は把握しているだけで2回ほどあります。
ひとつは、この時に出てきた敬虔なユダヤ教徒である男性。(お髭がふさふさ)
もう一つは強制収容所で死んだ男の子です。
男の子の方は、セルフヒーリングで出てきましたが、暗間でずっと目を光らせて潜んでいました。自分の居場所がわからないように。
彼の「人を信じてはいけない」という思い込みは、私の中に根強くありましたが、その背景に納得しました。
突然ですが、話は現世のサラとしての青春時代にさかのぼります。
私は大学生の時、海外に留学していたのですが、クラスメイトにユダヤ人の男の子がおりました。
物静かな方でしたが、少ない会話から刺激を受けることが多く、友達になりました。
彼との出会いからユダヤ人の歴史と、宗教的なこと
まるで「他人事ではない」と感じるところまで調べた時期がありました。
そういった経緯から、敢えて自分にユダヤ人の過去生があることについては
「興味があるからそういうリーディング結果になったのかも?」と懐疑的な時期もありました。
しかし、誰かのリーディングでも同じ結果ですと、「そういうこともあるんだ。」と感じるようになりました。
自分の過去生が原因で、今世でも何かに興味が湧いてくることが、あるんだなぁ。と。
かのクラスメイトとは、めったに会うことも話をすることもないのですが。
なぜか今も親交は続いております。
6年前、彼が大学院の研究で日本に来ていた時、私たちは六本木でビールを飲んでいました。
学生の頃を思い出しながら、友人の話や思い出話をしました。
そして、今の政治や歴史の話もしました。
戦前の日本の歴史から、第二次世界大戦が起きてから今まで。
私たちは、自分たちの祖先が戦争で亡くなっていること。
彼の70年前にドイツに住んでいた親戚はみな現在も行方不明のままであること。
アメリカでは、今も人種差別があること。
彼は今も命がけで自分の場所を守らないといけないこと。
これらを忌憚なく話しました。
私にはこの時、まるでメリーゴーランドに乗っているかのように、周りの風景に戦時中のお互いの祖先の姿が映し出されました。
そして、冷たいビールで乾杯しながら焼き鳥を味わっている私たちに戻ったとき。
爽やかな風とともにこんな言葉がお互いの口をついてでました。
「この時代は奇跡だ。奇跡としか言いようがない」
そして、国籍や文化の違いを超えて
アジアの片隅で、お互いが「友達」とよべることについて。こう言いました。
「いつ、どの時代を探したら、この瞬間があっただろう。」
搾取する側でもなく、される側でもなく。
友達と呼べる奇跡。
これは、たまたま私の過去生と現世の橋渡しとなっていた友人との思い出です。
彼の存在は、その後の私が世界情勢をあくまで私なりに理解する助けとなり、私にとってかけがえのない存在でした。
最近になって、それだけではなく、過去生からの繋がりをも感じる存在だったと気がついたのです。
もちろん、過去生を証明するものはありません。
でも、この「彼」が、かつての私の子孫でないとも言い切れません。
今もどこかで誰かが紛争などで危ない目に遭っています。
その銃を向けた先がかつての自分の子孫であるかもしれないこと。
また次の人生が、彼らの子孫であるかもしれないこと。
そう考えると、本当に「早くこの輪廻転生のメカニズムが解明されたらいいのにな」と思うのです。
全世界の人が凡ゆるものが繋がっていることを知ること。
世界が恐れることなく平和を受け入れることができることを心から祈りたいと思います。