シータの庭

創造主と天使から聞いた異世界やこの世のあれこれ。そして気学と方位の研究について。

アプリに入れない笑

こんにちは。なんと、前回の記事をあげた後、スマホからアプリに入れなくなりました💦

今後、だいぶ更新は遅くなるかもですがわたしは健在です(^^)

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祝!400記事突破(^^)

こんにちは。ブログを始めて、今回の記事で400件目になりました。

これもひとえに皆さまのおかげです。

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継続は力なり。とは言え、400件も書けたのは皆さまの役に立つと良いなという思いと、皆さまの励ましの声をわたしまでちゃんと届けていただけたからだと思っております。

初めはシータヒーリングへの個人的な思いとヒーリングに対するあらゆる知識の共有をメインとしていました。

今は、ヒーリングと、気学の両輪で走っています。どちらも欠かせません。

なにか一つのことを追求すると、そればかり集中する癖があるので、かなーり個性的なサラの記事に対して広い心で受け止めて下さる読者の皆さまは、神のような存在です。

この数年間は本当に山あり谷ありでした。

正直、辞めても良いかなと思う時期もありました。でも、辞めなかったのは伝えたい気持ちの方が強かったからです。

これからも、時々ペースが変わりつつも色んなことを書いていこうと思いますので、お暇な時にお付き合いいただければと思います。

いつも、ありがとうございます。m(__)m

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伏羲の暗号「八卦」と「易経」

こんにちは、そろそろ桜も咲き始める季節。春爛漫!ワクワクしますね。

今回は気学の原点、伏羲の謎解きの暗号「八卦」とその解読指南書「易経」について。「易経」は世界最古の書と言われています。

ーーー

さて、このブログの皆さまは伏羲という人のことをご存知でしょうか?

この人は、八卦というものを作った人として、何千年も前から中国文化圏の人々から神のように崇められてきた存在です。

ここから、易が生まれ、私たちの方位取りの元となる気学の原理原則が生まれます。

これらはひとえに、伏羲の暗号を何千年もかけて解読し、応用した結果、日本にもたらされたものと言われています。

そもそも、漢字も方位も、全て八卦が原点といえるほどのもの。

なぜ、これが現代においても暗号なのか?

その解読指南書である「易経」、その世界最古の書物はいかに戦乱の世も人々と共に生きてきたのか。簡単に書いてみました。

「最も高貴なものは時に、最も卑しい場所にある。」

この言葉は、中国在学中に出会った言葉です。

心の底からその通りだなと思います。

易経」がどの時代でも生き残ったのは、それが「ただの占いの本」に見えたから。と言われています。

占いは時に軽蔑の対象であり、低俗な迷信である。現代でも同様に易は社会で重要視されていません。

しかし私は、この本は生きていると感じています。

易という漢字は、トカゲを意味し、変化するという意味があるそうです。そこから未来を読み解き、戦略を練るためにあります。

ですから、見る人によってその姿が変わるのです。

天才が見れば、これは暗号になる。

では、今まで天才達がどのようにこの暗号を解いたか。

歴史的には皇帝、孔子を代表とする諸子百家や、軍師諸葛孔明などが有名ですが。易経から二進法を解読したライプニッツは今のIT社会の礎を築き、ユング共時性の発見となったなど、調べれば調べるほど出てきます。医療、神事、軍事、文芸、それぞれの領域に広がっています。

わたしが思うこと。

易経とは、観察者にヒントを与え、欲しい結果を与える書」である。

それが天才の問いであれば世界の成り立ちを解読する手掛かりとなり、恋愛の悩みであれば対応を答える。

ですから、この本は5000年も前から生きているのです。

「占いなんて迷信でしょ」が本当ならば合理主義の中国人がこれを後世に伝えたりしません。無論、いつの時代も「これはただの占い」という顔をもち、決して地位を確立することはない。

トカゲはいつの時代も、どこでも生息しています。 

易経は変わることのできる人だけが生き残れる世界で、いつの時代も常に目の前にある。そんな不思議な書なのです。

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傷があるから、一つになれる

こんにちは。誰もが繋がっているようで、本当の意味では誰とも繋がっていないような時代に。一人きりでいるとつい、他の誰かが羨ましいと感じて、自分を責めたり。

でも、本当はみんなおんなじなんです。

ーーー

同僚から相談を受けていました。

「頑張れない自分を責めてしまう。

もっと、もっとと思う気持ちが、追いつかない実力を冷たく照らして、自分を責めてしまう。」

 

できる人は、時にはそれができない人にとって脅威になる時があります。

自分とその人を比べて、自分は劣等生なのだと決めつけます。

そもそも、できることが素晴らしいという勘違いから起きていると思います。

 

物事の一面だけ見て、良いとか悪いとか、決められるほどそんなに単純でしょうか?

明るい方が良いとか、努力できる方が良いとか、成果が大事とか。蛍光灯みたいに冷たく、安っぽく、嘘くさい。

本当によりそうとか、気持ちを明るくするとか、というのは、自分を受け入れることがまず先じゃないかなと思います。

思うようにできなくても、良い。

不甲斐ない自分で、馬鹿みたいに間違いだらけの人生でも、良い。

本当に何もかもがうまく行く人など、一人もいなくて。

話をよくよく聞くと、その人にしか分からない辛さが滲み出てきます。完璧に見える人でも、その人にしか分からない涙があります。

その人が本当に欲しいものをあなたは手にしているのに、その人のことを羨ましいと思っていたりします。

いつでも、隣の芝は青い。

それは、当たり前のこと。

みんな、当たり前に傷ついているってこと。

一人きりの人などひとりもいない。同じように傷があるということは、みんなおんなじなんです。そういう繋がりかたも、アリなんじゃないかなと思います。

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痛みとヒーリング

こんにちは。突然の腰痛に参っていました。

精神と肉体はやはり一つなのですね(^O^)

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先月末のことです。身に覚えのない腰痛に苛まれること3日間。病院で湿布と薬をもらって休んでいました。

サラ:「何でこんなことになったんだろう」

もちろん、残業など色々要因はあるかもしれませんが、これらは今に始まったことではなく、腰痛は突然のことでした。

しかし、精神的には思い当たるショックな出来事がありました。

サラ:「とにかく、シータで癒してみよう」

痛くてあちこち行けませんので、本当に集中してヒーリングに取り組みました。これで治らないとどうしようもない。

すると…

サラ:「痛みが軽くなってきた」

これは、薬が効いてきたこともありますが、明らかにその日から痛みは引いてきました。

つまり、今回の腰痛は、精神的なものもその原因だったのでしょう。

痛みに耐える間に色んなことを思い、クリアリングしました。この苦しみはその痛みも相まって忘れることのできないものでした。

サラ:「終わったか…」

自分の中の、モヤモヤがあらかた片付いた時にはほとんど治癒していました。

身体と精神は結びついています。今回の不調はわたしが向き合うべきものに向き合うために、起きたことかもしれません。

苦しみや悲しさを手放す技術。

やはり、ヒーリングは一生の宝物と改めて思いました。

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狛犬は獅子ではなく羊?!

突然ですが今回は、狛犬の由来について。羊って本当にいいものなんです。

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前々から疑問だったので、つい記事にしちゃいました。

古い神社で、狛犬の頭に角が生えているものをみたことはありませんでしょうか?

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※こちらは尾道の艮神社さんの狛犬

サラ:「なんだろう、あの角みたいなやつ。」と思っていました。

諸説ありますが、狛犬は中国の獬豸(かいち)がもともとのモデルであるといわれています。悪い奴が入ってきたら角でぶっ刺されるという正義をつかさどる存在です。

ja.wikipedia.org

日本の特に古い神社では、こういった一角獣のような「明らかに獅子じゃないでしょ」という存在感を放つ狛犬が鎮座されておりますが、なかなかのお仕事をされていらっしゃるから、神社が永く保たれていると考えると感慨深いです。

ところで、この獬豸は動物にすると羊に例えられることもあり、そもそも羊は日本にあまりなじみがないので獅子になっちゃったんじゃないかとも思われます。

羊は中国でその漢字を使う場合、良い意味が多く、もともと吉祥の意味があります。「祥」にも「美」にもよく見ると羊の存在があり、頻繁に使いたいけど、「やっぱ守り神なら獅子かな。カッコいいし。」ということなのかしら。

私の場合、中国では毎日のように羊を食べていましたが、帰国後は外国産か北海道産しか買えず。そもそも羊を日本人が飼えるようになったのは明治時代以降のことだそうですから、見たこともない動物だった可能性も高いです。ゆうても、獅子もめったに見られるものではなかったとは思いますがね。

以上、個人的な憶測の面も強いですけど、サラは羊説を推しています。

食べてみたら、多分獅子よりうんメ〜のだ。

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苦しみのかみ砕き方

こんにちは、今回は苦しい時の過ごし方について。学生時代、大人になるとは、ブラックコーヒーが飲めるようになることだと思っていた時期があります。

多分、それは真実なのです。

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このブログは気学やヒーリングといったあらゆる人生に役立つツールを紹介しております。最近はほとんど気学の記事で埋め尽くされていますが、一番効果があると私自身が思っているからなのです。

それは、苦しみがなくなることではありません。受け取り方が変わることです。

人生とは別れやあらゆる出来事の繰り返しで、人として生まれてきたからには時には何らかの苦しみを味わうものです。

かつて、わたしはこう思っていました。

「苦しみは、ない方がいい。」

そして、ヒーリングに逃げていた時もありました。その時はそれが精一杯だったのです。

しかし、こう思うこともありました。

「苦しみは、人生についてくるものなのだ。」

そして、最近はこういう風に思うようになりました。

「苦みの中にも、旨味はある。」

辛いこと、できごとのなかで、「今まで自分が知らなかった不幸を知る」ことがあります。そしてそれが、誰かが亡くなった後に、やっとわかったりします。

幼いころは誰もが美しい夢を見せようと、素敵な言葉をかけてくれます。

最初はわからなくても、それらがみな本当のことではないのだと気が付くタイミングがいつかきます。

真実とは、残酷で、不平等です。

でも、時には現実について考えを巡らせるものです。

なぜ、そうしたのか。これから、どうなるのか。そして、どうすればいいのか。

辛い現実がある、だから、夢を求める。

醒めない夢を見たい。見せてあげたい。それを作る努力、やさしさ、支えあうこと。そこには言葉にならない「誰か」との交渉があります。その中で生まれた時間や感情があります。

それこそが、ブラックコーヒーの美味しさなのだと思います。

大人たちは、だから、砂糖がなくてもおいしいといえるんでしょうね。

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「鬼」の正体

こんにちは、今回は私たちもなじみのある「鬼」について。

こちらの言葉、中国語と日本語ではちょっとした違いがあります。

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みなさん「鬼」と聞くと、何を思い浮かべられますでしょうか。

おそらく、こんな感じかと。

桃太郎も鬼退治に行きましたね。なんとなく「悪い奴ら」というイメージ。

こちらの存在、方位では鬼門と言われます。方位は丑寅(艮)、つまり東北です。

なので虎の毛皮を腰に巻いております。では、なぜ牙と角があるのか?

牛(丑)には角があり、虎(寅)には牙があるためです。しかし、この世のすべての生き物の中で、角があるものは牙がない、牙があるものは角がないという法則があるため、この二つを兼ね備えている生き物は「この世のものではない」=「鬼」と呼ばれているのですね。

これが本来の解釈での「鬼」となります。

ですから、中国では幽霊も「鬼」と訳されます。この世のものでは無いので「鬼」です。日本語でも人が亡くなることを「鬼籍に入る」という言い方をしますね。あの世とつながる思想なのですね。

この言葉から感じられるものはいずれも「恐怖・死」という感じでしょう。

さて、中国では春節に爆竹を鳴らして魔を追い払います。日本ではほぼ同時期に節分があり、豆で魔(ま)を滅(め)っします。「魔」と「鬼」というのはどこかでその存在が似ていると思います。魔という漢字の中には鬼もいますしね。ちなみに、上部の「麻」という漢字には麻痺するという意味があるので、個人的にこの漢字は「人の感覚を麻痺させ内側に入り込む鬼」という解釈があります。方位取り初期に魔が入って方位がとれなくなる現象というのは、この体内の中の「魔」が原因と考えられます。

わたしにも「なんか、ぼーっとして気が付いたら家の掃除をしていて飛行機に乗れなくなりそうになった」という経験もあり、「しまった!魔がはいった!!」と慌てるのですが。

私の場合は方位をとる前に体調が悪くなっていたので、「魔」を先に体内から出しているのですね。そう考えると、「魔」や「鬼」というのは、やはり死と関係し、生気を奪うものと考えられます。「病魔」という単語にもその存在が目に見えない気であり体内にあるということを意味していると感じられます。

方位をとって良く分かったことは、「鬼」や「魔」が目に見えればどんなに簡単かということです。目に見えないから追い出すのが大変なんです(笑)。私からすれば、これらは「気」の一種であり、悪いことをしたり、悪い方位に行くことで体内に入ってしまうものと感じています。

方位取りで性格まで変わる人が多いというのは、もちろん人生が好転するからというのもありますが、これらを体内から出していったからなんでしょうね。今まで麻痺していた感覚が研ぎ澄まされて、人の気持ちやいろんなことが分かってくるんです。

わたしは中国留学中に「爆竹、まじでうるさい」と爆竹を心の中で迷惑がっていましたが、日本でも同じように魔を払う行為をしているということが面白いですね。

もちろん、私のおすすめは爆竹でも豆まきでもなく方位取りです(*^^*)。

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「東」の方徳について

こんにちは!今回は中国語と方徳(方位取りの効果)について(^-^)

小難しい文章になりましたが、ご興味のある方はご一読ください。

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台湾師範大学の教授はこう言います。

「かつて日本軍は『東方必勝』とはちまきに書いて中国を攻めたが、実際は『東方不敗』である。」

これを聞いて、それがゆえに元寇にも攻められ無かったのかも知れないと思いましたが、ここに、ハワイの方位取りの効果も関連して気づきがありました。

※中国から見て日本は東方。日本から見てハワイは東方です

方位を取るとは、どういうことなのか。

私はハワイから帰国後、あるコンペに参加していました。

新規事業立ち上げのコンペです。

サラ:「ハワイは東であり、事業運がつくというのであれば、試してみよう。」

という軽い気持ちで参加しました。提案を国の施策と関連させることにし、関係者にありえないほどの協力を頂くことができました。形になっていない現在も、取り組みは続いていますが、それでもこう思うのです。

サラ:「人との巡り合わせが凄い。こんなことは初めてだ…」

良いことばかりではありません。反発する勢力もあります。それに対して「なんや、こんちくしょー」くらいに思いますが、なぜかこちらに利益がある形で落ち着くのです。

サラ:「理不尽に反発されて、とても嫌な気持ちになったけど、その結果わたしが動きやすい環境になっている」

そう。「東方不敗」の意味はここにありました。東を取るということは、つまり、「負けることはない」のですね。

方位取りの極意、分かった気がします。それは、方位の観点からその徳を身につけるということ。

いかなる状況であっても、その方位にある利点を得るということ。

太極の位置を考えると、方位とは生き物であり、法則であると分かります。

そんなわけで、これからも学びは続きます。

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※ハワイの効果は今も継続しています。

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「天分」とは

いやはや、気学の話ばかりで申し訳ない。ブログ名を「気学の庭」にした方が良いのかもしれない。(>人<;)でも書かせてください。

気はどこにもあるのです。場所にもあるということは、漢字にも気があり、言葉にも深い意味がある。ーーー

さて、「天」の概念について自分の中で整理できましたので、それにまつわる言葉についても個人的な概念を記載したいと思います。

えー、天分とは何か。日本語で調べるとこのような検索結果に。

てん‐ぶん【天分】

 生まれつき性質才能。「—に恵まれる」「—を発揮する

 天から与えられ身分職分。「—をわきまえる

中国語で調べると、天分は天賦を名詞にしたものです。天賦には「天が与えた」という動詞の意味があります。

いずれも、生まれつき天から与えられた才能がある。という解釈となります。

しかし、天分のない人はいないのだと思います。

何かに精通していると、明らかに周囲の人間と比較にならない力を持った人の存在を認めることがあります。これを「天才」というのですね。

私はどこかで、確信がありました。

「この世の中にはすべての人類が幸せになる方法がある。人類は月まで行けるのにそれが解明されないわけがない。」

そして、それを私自身の感覚で、解読しようとしています。

人はみな生きていて、自分の生き方を極めようとします。

自分にしかわからないその道を、その歩み方を。

そしてその感覚こそが「天」に分けられた感覚を使っていることになる。

あなたの中の最も優れた感覚、それは目に見えていようがいまいが、誰かに知られていようがいまいが、必ずあなたの中にある。直感、信じていること。その道を決めるもの。人生を彩るもの。集中のあまり我を忘れるもの。

これこそが「天分」なのだと思います。

方位取りの成果の一つに「鼻毛に気が付く」と書きましたが、もう一つ大切なことを忘れていました。それは…

「自分の天分を思い出すことができる」ということです。自分を輝かせ、幸せになる道が必ずみんなにあるはずです。

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