突然ですが、シータヒーリングは創造主との会話ができてこそ成り立ちます。
とはいえ、私は今まで神様であるとか、天使であるといった存在を認める術がありませんでした。
それに、この呼び名が宗教ぽくて苦手でした。
最近まで、創造主とは本当はどういった存在なのか?
愛のエネルギーであるとはいえ、創造主の存在というものを見極める必要があると感じていました。
シータヒーリングは創造主という仮の名があるとはいえ、宗教や信仰ではありません。
他の神様の名前で呼ぶこともOKです。
「ソース」や「クリエイター」とも呼べます。
なので今回はこのへんの創造主との話をまとめました。
この日、私は最寄りのレストランでランチを楽しんでいました。
奥のカウンターに座っていた私は、あるお客さんがお店に入るや否や、お店の方に席の移動をお願いされます。
この常連客はご病気の様子でした。
この方のお気に入りの席が一番奥ということで、お店はこのお客さんが訪れる度、その席を案内されているようです。
様々なことを思いながら帰宅して、創造主に聞いてみます。
サラ:「創造主よ、なぜこの世には幸せな者や病などで苦しむ者がいるのですか?あなたが創造しているのであれば、こんな不公平はやめればいいです。」
私はこの時、不幸や病気を不公平なものと捉えていました。
創造主:「確かに、不幸を自分で作り出す存在はいる。」
創造主のこたえは、不幸や病気を作り出す力を公平に与えているという意味になります。
サラ:「あなたはより良い方法をいつも私に提示してくれる。それで、私自身も、多くの人もより良い人生を歩ませてもらっている。」
「何がよりよく、最善であるかを知っているのだから、私たちヒーラーを通してではなく、みんながよりよくなるよう直接的に働きかければよいのでは?」
つまり、より良くない方法は初めからコマンドを受け付けなければよい、という意味です。
創造主:「サラ、これはゲームだよ。人々はこの空間で、多くのものを創造する」
サラ:「…ゲームというには、過酷ではないですか。あまりにも不幸な人が多すぎます」
創造主: 「そうだね。彼ら自身がそれを創造しているね。」
「しかし、君はカードゲームを親しんだ経験があるだろう。『大富豪』だ」
大富豪は私が海外で留学生たちと楽しんだゲームだと思いだしました。
言葉がまだうまく通じない中、世界共通のルールだったので、一時期こればかりして遊んでいました。海外では、ゲームの最下位がSlave(奴隷)となり、次のゲームの為に散らかったカードを集めて、配るという罰が与えられます。
創造主:「君はゲームでSlave(奴隷)になったからといって、二度とこのゲームをしたくないとは思わなかっただろう」
私はこのカードゲームで度々負けて、そのたび悔しかったことを思い出しました。
今度は勝ってやろうと何度も繰り返し挑戦していました。
創造主:「人生とは、これと同じだ」
「人は一つの人生の中で様々なことを学ぶ、この時、不幸な自分の人生に行き詰ったりする」
「だが、このゲームは必ず終わりを迎える。死なない人間はいないからだ」
「彼らは死んで初めてこの世の仕組みを知り、また挑戦したいと願う。そしてまた生まれる」
私はこの時、輪廻転生の仕組みから、人は何度も生まれ変わることを知っていました。日本人であるからこそ、すんなり受け入れられたのだと感じています。
また、自分の過去生を何度もヒーリングしていた為、腑に落ちました。
創造主:「彼らはね、この仕組みを知った時に『はっ』とするんだ。ああ、こうすればよかったんだ!ってね」
「この瞬間が、何よりの喜びだ。」
これは悟りというものかもしれません。創造主は続けました。
「君はこのゲームの攻略法を知っているんだよ」
これは、シータヒーリング があらゆる面でヒントになることを意味しています。
サラ:「私がシータヒーリングで人を癒したり、これを通じて誰かに創造主の力を分け与えたりするのを見届ける時、私はいつか、創造主がこのコマンドを自由に使えることについて、何かを求めないかと恐怖を抱くことがあります」
「そもそも、創造主とはどういう存在なのか示しなさい」
創造主:「なるほど。」
この時、私は初めて創造主が人の形になったことを見届けました。
創造主には決まった形が無く、私が理解しやすいようにイメージを伝えてくれました。
創造主は本来、女性でも、男性でも、人間でさえもないエネルギーの存在です。
この時は老人がボードのようなものを眺めているイメージでした。
※創造主より、「本来姿はないので老人の姿は見えないようにしなさい」というとこで見にくくなっています。
ボードを除きこめば全ての次元を同時に眺めることができ、全ての存在の動きを把握できる。そんな感じです。
(※創造主は実際、全ての次元や空間に同時に存在し、把握しているのですが)
創造主:「私はあらゆる次元の存在を創造し、このように眺めているとしよう」
「こうしていると優秀なプレイヤーがこのゲームを早くクリアしたりする。」
「ああ。このような存在を創造できた。ということを喜んでいるのだ。」
「何かを求めたりなどしないよ。自分が作り出した世界だからね。」
このメッセージを受け取った後、この記事を書きながら、思いつきました。
自分の作ったお気に入りの漫画のキャラクターが、いかに人気になろうとも、ひたすら喜びしか感じない作者の気分でしょうか。
赤塚先生がバカボンに対し
「あいつめ!おれより有名になりやがって」と憤怒したりはしないのです。
私はこの時、自分自身が神に創造された存在だったんだなとも感じました。
この質問に関しては、恐らく多くのシータヒーラーさんが試みていると感じます。
創造主は誰なのか?
結局のところ、私は未熟なので、人間の姿で現れた時にだけ、創造主の言葉がすんなり理解出来ました。
本来、名前さえもない、「全てなるもの」が創造主なのですが、形がないというのは、逆に理解が難しいなと感じていました。
とはいえ、「私の創造主は、絶対に美人の女神様なんだから!」という方もいらっしゃるかもなので、そんな理解の仕方もあるのね〜、と
気楽に受け止めて頂けますと幸甚です。