【不思議な出来事】女神探訪 その①の続きです。
さて、ようやく念願の神様との対面の時が来ました。
わたしは思いの丈をぶつけたいと、女神様を目前に一気にこうまくし立てていました。
サラ:「どうして、こんな思いをしないといけないの!!💢」
こんなひどい震災。何故何の罪のない人々が経験しなければならなかったのか。
女神様:「?」
この時、私は怒りを女神様にぶつけていました。しかし、日本語だからか…女神様には言葉が通じないのが分かりました。笑
光:「まぁまぁ(^^;」
光の玉(マイケル)が私をなだめます…
サラ:「何よ、あんたどっちの味方よ!!」
今思い出しても、私のマイケルへの態度はひどいのですが(汗)、この時は怒りをぶつけるために次元を超えて来た。ということなのです。
この時、光の玉はすかさず女神様に近づき、事情を伝えているのが分かりました。
サラ:「なんでわからないの?神様なのに。」
そう思っている間に、女神様はマイケルの説明を理解し、ゆっくりと頷きました。
※絵の最も濃いマゼンダ色の部分が全体的に溢れる感じの光の空間です。絵では私の体を大きめに描いています。本来はこの5分の一ほどです。
そして、私の身体にその大きな手を当てます。
まさに、私の身体は女神様の掌の中にすっぽりの収まるのでした。
すると…
まるでしぼんだ風船が大きく膨らむように、エネルギーが身体全体に与えられました。
サラ:「なんか凄い!!」
これを言語化すると、こんな感じです。
生命エネルギーがあるとして、これが欠乏する事で人は怒ったり、悲しい思いをするとします。
この時の私の生命エネルギーが【10】だとしたら。
一気に【100,000】に補充された様な状態です。
ピンク色のオーラとともに、正に満たされたと感じると同時に、私は私の身体が赤ちゃんに戻っていることが分かりました。
そして、私はこちらの女神様が私の本当の母であると思い出します。
この辺は飛躍している様に思えますが、本当に思い出すのです。
サラ:「ママ、大好き!」
⬆︎さっきまで怒りをぶつけていたのに、こうなるのです。
もう、これ以上となく癒されて、エネルギー満タンで、何一つ不満が浮かびません。
そして、わたしには一つの理解が得られます。
「亡くなった方々がここに帰って来てちゃんと癒されているのなら、良かった。」
一生懸命に生きた後、たどり着いたゴールがここで良かったな。と。
たっぷりと愛を注がれて、赤ちゃんに戻って眠るわたしに、光がこう話しかけます。
光:「まだ、ここでゆっくりしてていいんだって(^^)」
すっかり安心して、できるだけ女神様の側でゴロゴロすることにしました。
見れば周りにも沢山の赤ちゃんがいるようです。
サラ:「この赤ちゃん達は、まだ生まれてないのかなぁ」
そんなことを感じながら、私は出来るだけこの空間にとどまり、このエネルギーを感じたいと思っていました。
三時間程経ち、光が私のところへ来て、こう告げます。
光:「お客さんが来たみたい。もう帰った方が良いみたいだね」
サラ:「お客さん?そうなんだ。わかった。」
私は充分に満たされていたので帰ることにしたのですが、そのお客さんを一目見て帰ろうと思いました。(この時はただの好奇心)
遠くから、女神様と同じくらい大きな体の神様が現れます。
ゆら〜り、ゆらりと歩いてきました。
その姿は、想像以上のものでした。
サラ:「象じゃん。」
そう、象さんでした。煌びやかな衣装を身につけているゴージャスな象さん。
サラ:「こんな大きな象さんが来たんなら、帰らないと。」
と思い、光の玉であるマイケルとその空間を後にしました。
次の瞬間、私はこの現実に目を覚ましました。
目を覚ました後、不思議な夢を見た。という感覚はありませんでした。
そして、睡眠を全くとっていないような感覚なのに、疲れが無いことにも驚き…
「なんと素晴らしい世界だ」という実感とともに起床しました。
あの世にもこの世にも、全ての存在にも感謝したい。そんな気持ちの高揚がありました。
私は、この世界で先程の女神様がどのように解釈されているか気になり、ネットで調べました。
本の中では、聖母様と表現されており、名前は複数あるとだけ記載されています。
またしてもWikipediaで調べていますと…「ラクシュミー」という女神様のページに行き着きました。
このページを見て、「蓮華の色をした肌を持ち…。」という文言から、この聖母様は、一部でラクシュミーと呼ばれているのかもしれないと思いました。
サラ:「あれ、ショッキングピンクではなくて、蓮の花の色なのね。」
そのラクシュミーはなんと象さんである「ガネーシャ」と仲が良いとのこともわかり、色々と腑に落ちたのでした。
…ということで、神様の概念や、信仰はそれぞれですし、皆さんがこのような体験をされるかはわかりませんが…
創造主:「この世はあらゆる創造でできている。それが神か?ということより。『求めよ、さらば与えられん。』ということだ。」
とのこと。
不思議な本には不思議なことを起こす力がある。と身をもって感じた夏でした。