こんにちは。すっかり上着が手放せない時期に入りましたね。
芸術の秋、読書の秋と言われますが、私は食欲の秋です。
今回は、美徳に見せかけたネガティブな思い込みについて書いてみました。
なりすましには、要注意です‼️ーーー
美徳というものの大切さは、ヒーラーでなくとも普通に人間をやっていると感じることが多いかと思います。
「徳のある人はすごいな」と感じます。
世の中の偉人はみな、どこかで「自分の欲望ではなく、多くの者の為に必要な道徳」を身に付けていると感じます。
そういった方々が人々に「信頼」され、人々を良い方向へ導いていく。
これは、「誇り」や「勇気」や、その他さまざまな美徳があるからこそできることでもあります。
ところが、この美徳を潜在意識では全く別のものだと思い込んでいることがたくさんあります。
私の場合、かなり前に「あれ、私の幸せってなんだっけな?」と思った際にセルフワークで気づきがありました。
簡単に言いますと…
「幸せになることより、奉仕することが大事だ」と思い込んでおり…
しかもその奉仕が、「自己犠牲」という意味になっていました。
潜在意識というのは、各人が独特な思い込みと独自の翻訳を勝手にして、それが正しいと思い込んでしまっているように感じます。
「奉仕」=サラ翻訳=「自己犠牲」
これは、「奉仕」というお面をかぶった「自己犠性」が私の中にあるということになります。
サラの潜在意識:「『奉仕』で〜すっ! なんちゃって〜〜『自己犠牲』だよ〜〜ん」
※この時の潜在意識の声はちびまるこちゃんの「山田くん」風。笑
これは、一見「幸せになることより、奉仕することが大事だ」というとても徳の高そうな思い込みですが…
よ〜〜〜く見ると
「幸せになることより、自己犠牲することが大事だ」
と思い込んでいるというイタイ状態でした。
サラの潜在意識:「ぐふふっ 喜んで『自己犠牲』するなり〜〜〜!!」
「でへへ、でへへ、幸せってなんだっけな?」
…
(>人<;)
イタイ……いたすぎる。
何という誤訳‼️
こういう自己犠牲という名の奉仕は、誰よりも「私に幸せになって欲しい」と願っている存在を悲しませることになり、真実とは程遠いと思うのです。
こういうイタイ思い込みは、たいていネガティブな存在との契約が有ったりします。
もっと言えば、私は「幸せ」の定義も微妙でした。
「幸せ」=サラ翻訳=「怠ける」
なので、この思い込みの意味は、私の中でこうなっています。
「幸せになることより、奉仕することが大事だ」
⬇︎
⬇︎サラ翻訳
⬇︎
「怠けることより、自己犠牲することが大事だ」
奴隷か… _| ̄|○
ちょっと間違えると社畜になりそうなOLの私にありがちな思い込みでございました。
もちろん、それぞれの意味をちゃんと一致させ、幸せを受け入れられるように変えました。
ということで、一見良さげな、なんちゃって美徳や、幸せを妨げる思い込みは要注意!!なのですね。