いやはや、気学の話ばかりで申し訳ない。ブログ名を「気学の庭」にした方が良いのかもしれない。(>人<;)でも書かせてください。
気はどこにもあるのです。場所にもあるということは、漢字にも気があり、言葉にも深い意味がある。ーーー
さて、「天」の概念について自分の中で整理できましたので、それにまつわる言葉についても個人的な概念を記載したいと思います。
えー、天分とは何か。日本語で調べるとこのような検索結果に。
てん‐ぶん【天分】
中国語で調べると、天分は天賦を名詞にしたものです。天賦には「天が与えた」という動詞の意味があります。
いずれも、生まれつき天から与えられた才能がある。という解釈となります。
しかし、天分のない人はいないのだと思います。
何かに精通していると、明らかに周囲の人間と比較にならない力を持った人の存在を認めることがあります。これを「天才」というのですね。
私はどこかで、確信がありました。
「この世の中にはすべての人類が幸せになる方法がある。人類は月まで行けるのにそれが解明されないわけがない。」
そして、それを私自身の感覚で、解読しようとしています。
人はみな生きていて、自分の生き方を極めようとします。
自分にしかわからないその道を、その歩み方を。
そしてその感覚こそが「天」に分けられた感覚を使っていることになる。
あなたの中の最も優れた感覚、それは目に見えていようがいまいが、誰かに知られていようがいまいが、必ずあなたの中にある。直感、信じていること。その道を決めるもの。人生を彩るもの。集中のあまり我を忘れるもの。
これこそが「天分」なのだと思います。
方位取りの成果の一つに「鼻毛に気が付く」と書きましたが、もう一つ大切なことを忘れていました。それは…
「自分の天分を思い出すことができる」ということです。自分を輝かせ、幸せになる道が必ずみんなにあるはずです。
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