このブログは、守護天使またはシータヒーリングを通じてあらゆる存在からヒアリングした内容を紹介することを意図してつくっております。
今回は「この世は幻」という事実をどう受け取るかというテーマについて聞いてきました。
この世は幻、ということの例えとして、「胡蝶の夢」という中国の説話があります。
なんだか優雅な説話だなとは思うのですが。
「そーかもね。夢かもね。」
と思うだけの感想になってしまうので
より実用的な理解の仕方を聞いてきました。
私が母にこの内容を説明したときのものを会話式にしています。
3月12日の事でした。
トゥリー(マイケル命名)の正体不明な男性は通勤途中の私にこう言います。
トゥリーが登場した記事はこちら↓
~~~「神は乗り越えられない試練を人に与えない」
という言葉がある。
これを信じている人はいるけれど、
それはそうだ。
この世は幻想なのだから。~~~
この言葉について、母に話をしてみました。
「神は乗り越えられない試練を人に与えない」
という言葉は、よく聞く言葉だったのですが、後半の理解に苦しむと母は言います。
母:「じゃあ、何をしてもよいということ?
この世は幻想ということは、悪いことをしてもよいということ?」
なぜそう思うのか。理由はこうでした。
人のルールは人が作ったものだから、幻想だと知ったとして何をしてもよいのか?
モラルについて聞きたいようです。
創造主は答えます。
「人それぞれがその人にふさわしい世界を創造するということだ。」
つまり、モラルの低い人間は、この世でモラルの低い世界を創造するということのようです。
まぁ、確かにその通りかなとも思います。
でも、仕組みの説明が必要かと感じました。
サラ:「もう少し分かりやすく噛み砕いて話してほしい」
ここで、創造主はいつも乗車している電車の中のイメージを伝えてきます。
多くの人が車内にいます。
創造主:「彼らのほとんどが過去の創造であり、その影が今電車に乗っている」
「以前、こうなろうと思い、それを実行に移した。創造した結果が今だ。彼らのほとんどはすでに影なんだ」
サラ:「う〜ん」
難しい。と感じます。
創造主は続けます。
「そこに感情が芽生えるとき、人はそこに何かを感じることができる」
「心は目に見えない。目に見えないからと言って自分の心を幻だと思うだろうか?
いや、心については、見えずともそこに『ある』と感じるだろう」
「天使のように目に見えないものでも、そこにある。」
「これと逆に、目に見えるものでも実体はないということだ」
創造主のいうことには「創造」が起き、過去の創造が現在の「実体」であり、目に見える「現実」はあくまでも影であり、目に見えない部分に本質はあるということでした。
周囲の人間が、過去の創造の影であり、それが「現在に至った反応」であると認識します。
そうすると、あらゆるものが「影」と感じられます。
なので、
「今、新たに創造することで今の自分にふさわしい世界にいくらでも変えられる」
ということのようです。
よく「今」を生きることが大切といいますが、こういうことなのかなと思います。
ちょっとまとめてみました。
仮定:見える現実→実体が無い
見えない創造→実体
例:子供のころの夢
子供のころ看護師になるという夢を抱いた(夢という名の創造)
↓
今、看護師になった(夢という創造の影)
看護師という目に見える現在の姿は過去の創造である「夢」の影である。
実体は「子供のころに創造した夢」である。
創造のエネルギーを「光源」とし
創造の夢を「型」だとします。
この光があって、また創造があって、それを遮る他の創造の型が無い場合は
影として目に見える形になるということのようです。
では、この影が実現しない場合
例:血が怖くて注射ができないので看護師になれない
原因追究→「幼少時見た映画のトラウマ」という創造
トラウマもまた目に見えないが実体であると考えます。
図:トラウマという創造があるために夢が「影」というかたちにならない
夢という創造と、トラウマという創造が両立しておるため、看護師になることができません。
この場合、トラウマを再創造することで看護師という夢の創造を現実にします。
※シーターヒーリングの場合、ヒーラーがトラウマのエネルギーを「創造主の光に戻す」ときに、これは外れます。
図:トラウマを再創造したので、夢が「影」というかたちになった
サラ:「お母さん、どう?わかった?」
母:「なんとなくやけどね」
私たちは目に見えるものばかりを重要視しがちですが…
それは影でしかないということのようです。