こんにちは!
「目は心の窓」と言いますが、「目」の重要性について書いてみました。
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サラは中国へ留学していたこともあり、気学的に見ても「目」について昔から言われていることをとても大切だと感じています。
シータでも、「目」を見てその人の過去生などをリーディングするワークがありますが、「目」にはその人の在り方がそのまま映し出されているように感じます。
ですから、誰かと話をする際に…
「目が優しい」
「目が泳いでいる」
「目から親しみを感じた」
「目は口ほどにものをいう」という言葉もあるように、こういう印象でのインスピレーションはとても大切なのですね。
また、こうも言います。
「目を合わせてはいけない」
関わってはいけないという意味です。
それだけ、「目」を合わせるということは、その人との交流を深めることになり、影響を受けることになります。
時代劇で、お殿様の前で家臣が土下座をしている風景はよく見ると思います。そして、お殿様が「面をあげい!」と言うと、初めてその家臣は顔を上げることが許されます。
それでも、家臣は「目」を合わせることは許されず、「目」だけ下を向いたまま話をします。
サラ的に見ると、これは気学の道理に沿っており、中国の流れを汲んだ儀礼の方式と思われます。
なぜ、家臣はお殿様の「目」を見てはいけないのか。手のひらは地面をついていないといけないのか。
今となってはどの本から得た情報なのか覚えていないのですが、中国では「気」は「目」と手のひらから出ると書いていました。ですので中国では拱手(gongshou)という手のひらで拳を包んで、目上の人の「目」を見ないという挨拶ができたとか。手から出る気を包んで「目」を見ないことで、自分の悪い気が相手に及ばないようにしたと。男性と女性では気の流れが左右逆になりますから、右手を包む男性、左手を包む女性というスタイルが成り立った。こうして「あなたに対して私の気は害を及ぼしません」という挨拶をすることで、自分は相手に害がないことを伝えることがマナーだったのですね。
※片方の目は畏れ、もう片方は野心。視線の先が気になる。
「目上の人」という日本語そのものが、この挨拶のスタイルから来ているのではないかと思います。目下の者は始終、顔をうつむけており、相手の顔は常に自分の上にありますね。全ては相手方に「ちゃんとしていて、悪い気はしないな」と思わせるためです。「悪い気はしない」とは、言葉通り相手を気の状態で判断することです。
現代人に足りないのは、「相手が自分に対して悪い気を放つかどうかでは無く、悪い気を纏っているかどうかを見抜く力」だと思います。
これほどまでに重要だった、「目」から出る気の役割ですが、私は最近こんな経験をしました。
私はOLでもありますので、会社に行っております。この会社でAさんという、ある社員と挨拶をした時に、こう感じました。
サラ:「この人の目は怖い」
ですから、この方とは必要以上に接点を持たないようにしていました。
しかし、事件は起きました…
長くなるので、続きはまた次回に書きますね!
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